親子関係の裏に潜む影

2024.2.15

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親子神話は幻想

親子というのは、非常に近しい関係であるが故に、その関係性の問題は人生に非常に大きな影響を与えます。

そうした親子関係で悩む人が陥りがちな問題として、親子であっても別の人間であるという根本的な認識が欠けているという場合が少なくありません。




もちろん頭では、それぞれが違う人間であることは分かっていると言うでしょう。

しかし、深いところでは自分の分身であるかのように思っていたり、「あなたは私の子どもなのだから、あるいは、あなたは私の親なのだから、私のことを理解してしかるべきだ」という強い思いに縛られていることが多いのです。

まさに、分身や所有物と見做すような感じですね。




特に日本では、「親子は愛情で結ばれているのが当然」だとか、「親子は他人ではない」とか、「親子は特別な関係だ」というような、親子神話が強く根付いている傾向があります。

これらは果たして本当のことでしょうか?




親子だから愛情で結ばれているのが当然?

では、どうしても子どもを愛せないと感じている親や、親を愛せないと感じている子どもは異端なのでしょうか?

どちらかが、あるいは互いが愛情を感じられず、その関係性に悩んだり苦しんでいる親子はたくさんいます。

「そんな人達ありえない」と言いたくなるかもしれませんが、そうした声こそが当事者達を苦しめ、孤独に追いやり、余計に歪んだ問題を引き起こすことがあるのです。




親子は他人ではない?

他人とは「自分以外の人」「血のつながりのない人」など、複数の定義があります。

確かに、「血のつながりのない人」という定義からみれば、親子は他人ではないということになりますが、自分以外の人という定義からみれば、親子であっても自分とは異なる別の人間であり、親子はまぎれもなく他人です。




親子は特別な関係?

特別な関係という言葉は美しく響くかもしれませんが、特別という意識は執着や歪みを生みます。

こうした意識が、親が子を、子が親を自分の所有物とみなしてコントロールしようとしたり、自分が辿ることのできなかった理想の人生を相手に辿らせようとするような問題の根本をつくり出します。

このような親子神話に拘り過ぎると、親子が別の人間であるという意識は薄れていきます。

特別な関係という免罪符を握りしめ、互いに依存を強めたり、傷つけあうようなことが起こるのです。




違う人間として尊重しよう


親子であっても特別な関係ではなく、別の人であるということをお伝えしました。

このようにお伝えすると、親子の愛情や、互いを大切に思いあう気持ち自体が否定されるように感じてしまうという人もおられるかと思います。

しかし、相手を大切に思う気持ちは、親子を別の人間と認識したからといって、否定されるわけではありません。

「親子は特別な関係」という認識の縛りを解き放つことが、薄情なわけでもないのです。




繰り返しますが、親であっても、子であっても、それぞれ全く別の人間であることに変わりはありませんよね。

別の人間であるということは、才能や気質、感性もそれぞれ違いがあるということ。

得意や不得意なことや、価値観、感じ方などが異なるのは当然なのです。




親子という関係性のこだわりを緩め、対等なひとりの人と人として見れるようになることは、相手の選択や在り方を尊重する姿勢に繋がりやすくなります。

親離れ、子離れとはよく言いますが、親子でも違う人間だという心理的な距離感を持って接することは、互いの成長のためにも大切なことです。

どんなに近しい関係であっても、互いの人生を代わりに生きることができない以上、いつまでも干渉するのではなく、心の中で静かに見守るくらいでいいのかもしれませんね。






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